↖   ≡ はナビゲーションを表示します.        The icon shows navigation.

1505_Peru

Created by K. Ishikawa

ペルー

掲載写真 72枚.人物にはモザイク処理.閲覧時のデータ通信量の節約のため,写真は原画の画素を縦横とも約1/8から1/6に縮減( 800 x 540 pixels)して掲載した.

サン・フランシスコ教会@マヨール広場,リマ

リマ大聖堂@マヨール広場,リマ。インカの街はフランシスコ・ピサロにより征服され,街が作り変えられた。

リマの太平洋岸

イカの空港からセスナ機でナスカとフマナ平原の地上絵に飛ぶ。

巨人

サル

イヌ

ハチドリ

クモ

ペリカン

ワシ

左側に木,中央上部はパンアメリカンハイウェイ沿いにある展望台「ミラドール」,右側に手が見える。

インカ Pachacuteq の像@クスコ,ペルー。

”Qoyllur Rit'i” コイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ

コイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ

コイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ

コイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ

コイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ。ケッツアルの羽も入っている。

鳥の羽根飾り

コイヨリッティの祭り,世界遺産ラ コンパニーア デ へスス教会@アルマス広場,クスコ

大聖堂とコイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ

幸運にも2015年5月17日(日)は,Qoyllur Rit'i Festival(コイヨリッティ ,またはクイヨリッティ.ケチュア語では「スノースター」と訳され,Qoyllurは金星の意.)であった。コイヨリッティはカトリックとアンデスの宗教を融合させた祭りまたは巡礼で,ペルーのクスコで盛んである。多数のペルーの人たちがカラフルな衣装をまとって歌,ダンス,祈りをしながら満月の中を雪を頂いた Ausangate山の聖域に向けて,これから3日間ノンストップで歩く。巡礼では,重い木製の十字架を5,000mを超える峠を越えて氷河の上に運ぶ。数千人の参観者があり,人生,ビジネス,幸福を求めて祈りにやって来るという。参考https://www.apus-peru.com/blog/a-trip-to-qoyllur-riti-festivalhttp://cuzcoeats.com/sound-and-dance-on-the-plaza-today/ 

ラ コンパニーア デ へスス教会とコイヨリッティの祭り@アルマス広場,クスコ

ラ コンパニーア デ へスス教会とコイヨリッティの祭@アルマス広場,クスコ

インカの石組みの中の店@アトゥン・ルミヨック通り

アトゥン・ルミヨック通りの石組。

12角の石(約1メートル)@アトゥン・ルミヨック通り,クスコ。精巧で強固な石組み。スペイン人が到着する以前の1350年頃,このクスコ王国を支配していたロカ皇帝の宮殿の基礎であったと言われる。

14角の石。車輪や鉄器のないインカ帝国時代の匠の意気が感じられる石組み。

天の川とインカの人たちの星座。インカの人たちは、天の川に見える黒い模様(暗黒帯)の形に動物たちを当てはめていて見ていたと言われる。

サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)の内部。太陽・月・星・虹・稲妻などを祭る神殿が中庭を囲んで立ち並ぶ。

黄金の壁掛け(復元)

神殿内部の石組みはインカで最も優れていると言われる。カミソリの刃が入らないどころではなく、紙も入らないところもあるほど。

堅固な石組みが残る。

サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)の中庭

太陽の神殿(「コリカンチャ」,「コリ」は黄金、「カンチャ」は囲い場)。この神殿は1枚あたり重さ2kgの純金の板700枚を使って装飾され、神像をはじめ数多くの黄金製品が納められていたが,スペイン人によってすべて破壊・略奪された。

インカ時代の太陽の神殿(コリカンチャ)。サント・ドミンゴ教会がその上に建てられている。

太陽の神殿(コリカンチャ)

インカ帝国の首都だったクスコ。アンデスの盆地で標高は約3400m。クスコとはケチュア語で「へそ」の意味

オリャンタイタンボ発マチュピチュ行きのインカレイルの列車

列車は渓谷に沿ってマチュピチュに下っていく。マチュピチュからさらに下るとアマゾンに至る。

マチュピチュ(標高2,400m)への入園許可証。6時開園。

天空の町,マチュピチュ。15~16世紀に構築。マチュピチュを築いたのはインカ帝国代9代国王のパチャクティと言われる。在位33年の間に急速に国土を拡大した。

インティワタナの丘。太陽信仰を国家の宗教として神に近いところで行事を行った。このため高地に石の建造物を造ったと言われている。

アマゾンからの霧で雲霧林になっている。木にはランが自生する。多雨のマチュピチュは湿度が高い。

インカ道。太陽の門に通じる。

2700mのワイナピチュ山,クーガーの形とも言われている。

ワイナプチ山

インティワタナの丘とメイン広場

この正門でマチュピチュに入れる人と入れない人を選別した。

太陽の神殿の一角。ここにもインカの石組みがある。中央奥の四角の小石も完璧に収まっている!

ウルバンバ渓谷。この絶壁にも石を積んで段々畑を作った。

正確に南北を指していた。

一枚岩でできている「インティワタナ」。太陽をつなぎ止める」との意。冬至の日の出にV字の山の稜線から日が差し込む。

水鏡か?

段々畑,インカは農業が基盤になっていた。草の香りが漂っていた。

庶民の家

用水

マチュピチュからインカレイルの列車でオリヤンタンポに戻る。

ウルバンバからクスコに向かう。耕して天に至る段々畑跡。高度に応じて作物を作り分けていた。

後方には氷河のあるクマシロ山々。

標高に応じて作物が異なる。後方には氷河のあるクマシロ山々。

クスコの町並みを一望する。

ラン航空DC787機の主翼,リマ⇒ロスアンジェルス

次へ Next → 1504_Turkey

戻る Back → §1. Cultures & features