掲載写真51枚.人物にはモザイク処理.音声1.閲覧時のデータ通信量の節約のため,写真は原画の画素を縦横とも約1/8から1/6に縮減( 800 x 540 pixels)して掲載した.
アジアに残された秘境,幸せの国ブータンにお彼岸の3月20日前後に催されたツェチュ(太陰暦の10日にあたる日)の祭りに合わせて訪問した。
ブータン王国はインドと中国に挟まれ,8,000m越えの山々が並ぶヒマラヤ山脈東部に位置する。”竜の国”と言われ長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合に加盟した。首都はティンプーで,国際空港はパロにある.
市街地から6kmに位置するブータン唯一のパロ国際空港。5500mの山間にある1,980mの狭小なパロ空港に着陸するためには,世界に8人しかいないといわれる熟達したパイロットが必要とのこと。
末尾にブータンやパロ空港に関するYoutube動画へのリンクを添付した。
国営航空会社・ドゥクエアのシンボルもドラゴンである。ドゥクエアは,王宮所有で独占的に観光客を運んでいる。そのため高額な運賃となっている。AM6:30にバンコクを離陸するとすぐに朝食となり「ベジタリアンか」と尋ねられた。ゴハティ@インドに途中停機した。
ドゥクエアの搭乗半券
プライベート切手.隣はガイドのツェンチョさん
ブータンは切手収集家にとっては多種多様な美しい切手で有名な国だ。変わり種の一つは,ティンプーの小さな中央郵便局で上記のようなプライベート切手を作ってくれることだろう。私の隣に写っているのはブータン滞在中にガイドを勤めてくれたツェンチョさん(あだ名はブル)である。作った切手を貼って日本に絵はがきを出したところ,1ヶ月ほどかかって確かに着いた。
山の中腹にあるチベット仏教の学校で子供たちが学んでいた。大切なお経の短冊が風に飛ばされてしまった。
崖の下から吹き上げる風に乗ろうとしている小坊主さん
3月20日にはブータンでも桜がほころんでいた。
幸せの国のお年寄り
数珠を片手に,お経が刻んであるマニ車を回すお年寄り。
ティンプーの娘さんたち。頼んだら快く笑顔でポーズをとってくれた。服装はブータンの正装「キラ」。
首都ティンプーの目抜き通りには木造の小売店が並ぶ。
ここは東京で言えば銀座のめぬき通りである。
幸せの国では,犬も幸せそう。
制服姿の高校生が写真に収まってくれた。ブータンでは公務員や学生は民族衣装のキラ(女性用で長方形の大きな布をコマという留め具とケラという帯で体に巻き付ける)や,ゴ(男性用で日本の丹前に似たかたちの着物)を着ることが法律で義務づけられている。白の袖口が清潔そうに見える。
小さな子をおんぶした制服の学生。最近の日本では見られない光景である。
首都ティンプーの交差点の交通整理。ブータンには信号機はない。基本的に交差点はラウンドアバウト(円形交差点)になっている。
王宮の中庭
ツェチュ(「10日」という意味)は、ブータン中の寺院、僧院、ゾンで毎年行われる祭りである。ツェチュは太陰暦で月の10日目に当たる日を祝う宗教的な行事で、「グル・リンポチェ」の生まれた日と一致するとされている。人々は正装して一家をあげてツェチュの祭りにやってくる。功徳を積むためだ。
参考https://www.bhutantouroperators.net/index.php/punakha-tshechu-festival-tours?layout=edit&id=9ツェチュは、様々な村から人が集まり宗教的なマスクダンス(仮面舞踏)を見る一大イベントだ。マスクダンスは、8世紀のグル・パドマサンバヴァ(ブータンに仏教と伝えたとされる僧でブータンでは釈迦に次いで、第二の仏として拝められている)の生涯の出来事を称えたものだ。
アツァラは悪人の道化役でコミカルな動きで人々を笑わせる。私もささやかな寄進をした。
寺院の周りを埋め尽くす参観者
グル・リンポチェの八変化がずらりと登場 してダイナミックなダンスを舞う。
ツェチュは、様々な村から多くの人が集まり宗教的なマスクダンスを見る一大イベント である。参観すること自体が功徳になると信じられている。マスクダンスは日本の東北地方の鹿踊りに似ているところがある。
ツェチュの間に披露されるマスクダンスは、全て背景に物語がある。多くは勧善懲悪である。写真は悪人役が捕らえられたところ。
動物の仮面をかぶった僧が動物のマスクをかぶってはだしで力強く飛びはね踊る。遠く離れた村では僧と村人が共に踊るという。
クライマックスでは閻魔大王が登場する。
仮面
仮面舞踏の演者。快くポーズをとってくれた。
深夜に「グル・リンポチェ」の緞帳(38m x 38m)を開帳する「トンデル」を参詣した。
群衆がお経を唱和する。低いうなるような読経が腹に響く。
↓ 踊りが奉納され,数万の参列者がお経を唱和する(音声:2Mb)。
夜明けとともに,あたりの様子が徐々に分かってくる。大群衆と大勢の僧が「グル・リンポチェ」の緞帳を囲んでいる。
「グル・リンポチェ」の緞帳に人々が礼拝に集まる。
私も「グル・リンポチェ」の真下で礼拝した。圧倒される大きさである。
まもなく入り口から数百メートルの赤い絨毯がひかれ,ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が拝礼に来られた。思いがけなく国王にお会いすることができた。東日本大震災の直後に日本に奥様と来られたことが思い出された。ブータンは政治と宗教を同じように大切にしている国である。
王宮
ブータンに滞在中,私の案内をしてくれたガイドのツェンチョさんとドライバーのサンタフィーさん,そしてランドクルーザー。ブータンの旅は高めだったが,私一人のために二人が動いてくれたことを思うと贅沢な旅だった。二人とも常に正装で気遣いをしてくれ,にこやかだった。すばらし!
タクツアン僧院に登拝してきた。僧院は標高約3000mの断崖絶壁に張り付くように建っていた。グルリンポチェ(パドマサンバヴァ)が瞑想したとされる洞窟があり、世界中からたくさんの参拝客が訪れるチベット仏教の聖地だ。パロのホテルから登り口までは車で20-30分。それからタクツァンカフェテリアを経て片道約3時間の上り坂だった。
タクツアン僧院は断崖の中腹に建立されている。
途中にはたくさんルンタ(旗)やシルクが掲げてある。
パロの街角より。
西岡京治氏はブータンの農業発展に貢献したことで,「ダショウ」の称号を1980年に授与され,ブータン人から尊敬されている。
参考:このサイトに関連したYoutube動画へのリンク
ドゥクエアの着陸@パロ空港,ブータン
ネパールのカトマンズからブータンのパロ空港へ.山際をかすめる危険な着陸
ブータンのパロ空港からエベレストを飛び越えてニューデリーへ
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