掲載写真:198枚,動画: 主にSony RX100M5Aで撮影.閲覧時のデータ通信量の節約のため,写真は原画の総画素数を1/5に縮減( 800 x 540 pixels)して掲載した.
屋外の写真は風景が明るすぎるためか,通常よりも暗めに写っている.
チュニジアでの旅行経路
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バルドー国立博物館@チュニス.古代ローマのモザイクや古代ギリシア, チュニジア, イスラム時代の遺物が主な収蔵品
バルドー国立博物館@チュニス.天井のモザイク
バルドー博物館@チュニス.ローマ時代のモザイク
地中海の朝日@スース,チュニジア
地中海に面したリゾート@スース,チュニジア
地中海の青い海@ケリビア,チュニジア
地中海の青い海と街@ケリビア,チュニジア
ケリビアの城塞から街を望む@ケリビア,チュニジア
ケリビアの城塞内いっぱいの花畑@ケリビア,チュニジア
ケリビア街角@ケリビア,チュニジア
ケリビア街角@ケリビア,チュニジア
ケリビア街角@ケリビア,チュニジア
ケリビア街角@ケリビア,チュニジア
昼食@ケルクアン
海鮮スープとスパゲッティーの昼食@ケルクアン
地中海の海岸@ケルクアン
地中海岸の廃船@ケルクアン
地中海の海岸を彩る花々@ケルクアン
地中海の海岸を彩る花々@ケルクアン.フェニキア人が建設した都市ケルクアンは 地中海を隔ててイタリアのマルタ島の真向かいにある.紀元前4世紀から3世紀にかけて建設され、ローマやビザンチン帝国に破壊されることなく、フェニキア時代の姿をそのまま伝えている.
紀元前6世紀ごろに建設された とみられる古代カルタゴ時代の都市遺跡@世界遺産ケルクアン.右手奥では映画の撮影中.フェニキア人による古代カルタゴは海洋交易により大きな富と強力な海軍を有していた。しかし当時同じく勢力拡大を図っていたローマ帝国と対立し、三度にわたる熾烈な戦いの末に滅ぼされてしまった.
古代カルタゴ時代の家の跡地@世界遺産ケルクアン.現在残っている遺跡は紀元前4世紀にフェニキア人が造ったといわれる.その後、紀元前264~紀元前241年の第一次ポエニ戦争の間に放棄され、その存続期間は400年ほどだった.カルタゴ市と異なりローマによって再建されることもなく、1950年代に発掘調査が始まるまで、埋もれた遺跡となってしまった.
古代カルタゴ時代の遺跡,風呂跡か@世界遺産ケルクアン
海岸脇の遺跡@世界遺産ケルクアン
海岸脇の遺跡@世界遺産ケルクアン.海洋交易民族フェニキア人らしく、ケルクアンは海に面した丘の上にある.
ローマ時代の遺物@ケルクアン遺跡
ローマ時代の遺物@ケルクアン遺跡
ギリシャからの遺物@ケルクアン遺跡
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの街
スースの城壁
円形闘技場@エル・ジェム,チュニジア.エル・ジェムは、かつてローマ帝国の属州として繁栄した.同じくチュニジアのカルタゴ遺跡が紀元前の遺跡なのに対し、エル・ジェムの円形闘技場は紀元3世紀に作られた。
円形闘技場@エルジェム,チュニジア
円形闘技場@エルジェム,チュニジア.円形劇場の周囲は400メートル、収容人員は3万5千人と言われる.アリーナと呼ばれる中央の舞台の直径は65メートルに及ぶ大型の闘技場だ.エル・ジェム周辺は特にオリーブオイルの生産で潤った土地といわれ、その富が建設資金にあてられたといいわれる.現在は闘技場の外壁は破壊されているが、17世紀まではほぼ原型を保っていたと言われている。
円形闘技場@エルジェム,チュニジア
円形闘技場@エルジェム,チュニジア
円形闘技場@エルジェム,チュニジア
円形闘技場@エルジェム,チュニジア
円形闘技場の中央地下@エルジェム,チュニジア.地下通路には出番を待つ野生動物や、剣闘士たちの部屋が残されている.
円形闘技場中央の地下@エルジェム,チュニジア
円形闘技場@エルジェム,チュニジア
ラクダに乗る人@エルジェム,チュニジア
メディナのスーク@スファックス
メディナのスーク@スファックス
メディナのスーク@スファックス
メディナのスーク@スファックス
メディナのスーク@スファックス
メディナのスーク@スファックス
メディナのスーク@スファックス
メディナの城壁@スファックス
メディナの城壁@スファックス
チュニジアの主要生産物であるリン鉱石(左)と岩塩(右)@スファックス
ラクダ@マトマタ
マトマタにて
北アフリカの先住民であるベルベル人の穴倉式住居@マトマタ.住居はまず地面に巨大な穴を掘り、その側面にいくつもの穴が掘られる.中央の穴は広場や中庭として使用され、側面の穴は寝室やリビング、キッチン、倉庫など、穴ごとにそれぞれの目的に合わせて使用する. 周囲からはここに家がある事は判らず、敵の目をごまかし、身を隠す事が出来た.これらはベルベル人がアラブ勢力に追われてこの地に辿り着き、敵の目をごまかす為に造ったのが始まりで、現在も約90戸が居住中.
ベルベル人の穴倉式住居@マトマタ
ベルベル人の穴倉式住居.ベット@マトマタ
ベルベル人の穴倉式住居@マトマタ
かわいい!😊
ベルベル人の生活@マトマタ
石臼を使うベルベル人のおねえさん@マトマタ
ベルベル人の生活@マトマタ
ベルベル人の生活@マトマタ
SF映画スター・ウォーズが撮影されたホテル シディ・ドリス@マトマタ.ベルベル人の穴倉式住居は、映画スター・ウォーズの主人公であるルーク・スカイウォーカーの故郷としても使わた.
ホテル シディ・ドリス@マトマタ
ジョージ・ルーカスの部屋@ホテル シディ・ドリス, マトマタ.
ホテル「シディ・ドリス」の部屋@マトマタ
砂漠の街トズールへ行く途中,砂漠の入り口でバスがオーバーヒートした.修理を待つ間に街の売店で一休み.
砂漠の街トズールへ行く途中の街で一休み
ショット エル ジェリド@ドゥーズからトズールの間にある広大な塩湖.遠方に浮島のような蜃気楼が見える.
塩分濃度がとても高いためピンク色の藻が生息している.
砂漠のバラ(さばくのバラ、Desert Rose または Sand Rose).ある種の化合物が自然現象でバラのような形状の結晶に成長した石.塩湖の地層を掘ると出てくるという.
巨大な砂漠のバラ
150Kmほど西に走るとアルジェリアである.
ジャメル砂丘の日の出@トズール.
ジャメル砂丘のラクダ@トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
みあげもの屋@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
SF映画スターウォーズの撮影セット@ジャメル砂丘,トズール
砂漠の中のホテルとしては贅沢なプール@トズール
メディナ@トズール
メディナにて@トズール
メディナにて@トズール
メディナにて@トズール
メディナの茶屋にて@トズール
メディナの水売り@トズール
メディナにて@トズール
メディナにて@トズール
メディナにて@トズール
メディナにて@トズール
デーツ(ナツメヤシ)売り@メディナ,トズール
給水@メディナ,トズール
スーク@メディナ,トズール
スーク@メディナ,トズール
スーク@メディナ,トズール
スーク@メディナ,トズール
スーク@メディナ,トズール
馬車@メディナ,トズール
馬車@メディナ,トズール
ナツメヤシの林馬車@トズール
ナツメヤシの受粉を実演する農夫@トズール
カフェ・レストラン・博物館の入り口
ホテルのプール@ケロアン
アグラブ朝の貯水池@ケロアン.メディナから北に1kmほどにある9世紀のアグラブ朝の時代の貯水池.長年にわたり使用(おもに農業用水)され、現在も使われている.
シディサハブ霊廟@ケロアン
シディサハブ霊廟@ケロアン
シディサハブ霊廟@ケロアン
シディサハブ霊廟@ケロアン
シディサハブ霊廟@ケロアン
シディサハブ霊廟@ケロアン
シディサハブ霊廟@ケロアン
街角@ケロアン
菓子の販売@ケロアン
ミントティーを頂いた喫茶店から港を望む@シディ・ブ・サイド
街角@シディ・ブ・サイド
街角@シディ・ブ・サイド
チュニスの街
宿泊ホテル@チュニス
デーツの花
世界遺産ドウッガ
ドゥッガ@チュニジア.チュニジアの首都チュニスから南西へ約100㎞にある.北アフリカのローマ都市遺跡の中でも特に保存状態がよいといわれる.標高600mの丘の上に大規模な古代都市の遺構が残っている.ドゥッガとは「牧場」を意味し、紀元前3世紀にはチュニジア西部に興ったベルベル人の王国ヌミディアの要塞都市だった.
紀元前46年ローマの支配下に入ると、2~4世紀にはローマの経済を支える農産物の集積地として発展しますが、ゲルマン族の侵入によって衰退した.その後はビザンチン帝国の要塞都市になり,やがて7世紀のイスラム教徒の侵攻により町は破壊された.
遺跡はフォルム(公共広場)を中心に古代ローマの神々を祀る神殿、凱旋門、闘技場、浴場、貯水場などが配され、ビザンチン時代にキリスト教会に変えられた神殿跡も見られる.
観客席が19段ある古代劇場の最上段から遺跡を見渡すと,3世紀には5千とも1万ともいわれる人々が暮らしていた賑わいも感じられる.ローマ時代には周囲に広がる小麦畑やオリーブ畑などの穀倉地帯の中核都市として繁栄を極めた.
キャピトル神殿@世界遺産ドウッガ
内部の3つの聖室中央には、6mのジュピター像があった@世界遺産ドウッガ
キャピトル神殿@世界遺産ドウッガ
キャピトル神殿@世界遺産ドウッガ
キャピトル神殿@世界遺産ドウッガ
キャピトル神殿を望む@世界遺産ドウッガ
モザイクタイル.多くがチュニスのバルドー国立博物館に移設展示されている.
@世界遺産ドウッガ
トリフォリウムの家@ドウッガ.実は売春宿で、隣りの浴場とは建物がつながっていたようです。
カスバ広場@チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
帽子屋,スークにて@メディナ,チュニス
香料屋,スークにて@メディナ,チュニス
絨毯織.スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークを見渡す@メディナ,チュニス
スークの屋上@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
スークにて@メディナ,チュニス
I love Tunis@メディナ,チュニス
チュニスの早朝
チュニスからカルタゴに向かう道路.日本の援助で完成とのこと.
ビュルサの丘からカルタゴの街を望む
フェニキア人が造った古代都市ビュルサの丘@カルタゴ.古代カルタゴの城塞が築かれていたビュルサの丘は、カルタゴの陥落と共に破壊され、現在は博物館と大聖堂が建っている.
古代ローマのアントニヌス浴場@カルタゴの遺跡
古代ローマのアントニヌス浴場@カルタゴの遺跡
古代ローマのアントニヌス浴場@カルタゴの遺跡
カルタゴの遺跡
旅のエピソード
エミレーツ航空ラウンジ@成田
エミレーツ航空ラウンジ@成田
エミレーツ航空A380-800の2階席
久しぶりの日本酒と軽食のサービスがうれしい.機内のバーラウンジは夜中も開いていた.エミレーツのCAのみなさんありがとう.
A380-800の尾翼からの映像.成田まであと3時間.
往復とも成田ードバイがA380-800で12時間,さらにドバイーチュニスがB777で7時間の飛行だった.乗り継ぎ時間を合わせるとほぼ一昼夜の長旅になった.
今回の旅でお世話になったTCの柴美佐子 さん,現地ガイドのタレックさんに感謝いたします.快適な旅でした.
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